
その声を聞くたびに、私の胸は熱くなった。
けれど――私の目には、確かに体の衰えが映っていた。
笑う顔の奥に、疲れや息苦しさが潜んでいるのを、私は見逃せなかった。
それでもじーじは、感謝の言葉を決して忘れなかった。
「ありがとうな、江美。俺は世界一の幸せ者だ」
訪問診療のたびにそう言って、いつも私や母を笑顔にさせてくれた。
小野先生の訪問診療は、そんな私たちにとっても支えだった。
診察を終えると、先生は穏やかな声でこう言った。
「体はつらくても、ここで過ごせていることが力になりますよ。つらい時は、夜でも遠慮なく呼んでくださいね」
じーじは、まるで子どものように素直にうなずいていた。
季節が移ろい、冬が近づいた。
じーじの時間は、静かに終わりへと向かっていた。
布団から起き上がることも少なくなり、介護ベッドで過ごす日が増えていった。
――その朝、母が私の部屋に来た。
「江美、じーじの呼吸がおかしいの。ちょっときて。」
とうとう、その時が来たと思った。
すぐ部屋に行くと、布団の中で、じーじは浅い呼吸を繰り返していた。
しかし、顔色は穏やかで、どこか安らぎさえ感じられた。
しばらくして玄関が開き、小野先生が入ってきた。
穏やかに挨拶をしながら、静かに脈を取り、聴診器を当てた。
次の瞬間――じーじの途切れかけた呼吸と意識が、ふっと戻った。
ほんのわずかに胸が上下し、目をパッと開いた。
「小野先生……ありがとう」
先生が来てくれた安心からか、じーじの意識は少し戻った。
小野先生も安心し、「何かあったらいつでもお電話くださいね」と言ってくれた。
私も安心して母にじーじのことを任せ、仕事に出かけていった。
これは後に母から聞いた話だが、
小野先生が帰り、私が仕事に出かけた直後、じーじは
「おしっこ」と言い、体の力が抜け失禁をした。
そして、「ふぅー」と大きく息を吸った。
それが、じーじの最期だった。
退院時に告げられた余命は三か月。
でも、じーじは六か月も生き抜いた。
その時間は、ただ長かったのではなく、
感謝と温もりに満ちた、かけがえのない日々だった。
……そして現在。
坂の上ファミリークリニックの看板を見上げると、じーじの声が聞こえる気がする。
「俺は世界一幸せ者だ」
あの日の在宅での看取りが、私を訪問看護師へと導いた。
ここで働き始めて六年。
じーじから学んだ「在宅で過ごすとは何か」を、
私は今も胸に刻み続けている。
【「あの坂道で出会った心 -在宅医療の物語- (通称:あの坂)」とは?】
この連載は、坂の上ファミリークリニックのスタッフが在宅医療の現場で実際に体験した、心に残る物語をもとに綴ったエッセイです。
登場するエピソードは、患者さんやご家族との関わりのなかで実際に体験した出来事が中心ですが、個人情報保護のため、お名前やご家族構成など一部に変更・脚色を加えています。
物語の根底にはスタッフのリアルな思いや、患者さんから受け取った温かさと学びがあります。
家で過ごすことの意味、在宅医療のやさしさ、そしてスタッフと患者さん、ご家族の絆。
ささやかだけれど確かな“在宅医療の物語”が、
読んでくださる皆さまの心にも静かに届きますように。